陰陽祐気学

陰陽祐気学(おんみょうゆうきがく)とは、現代気学の抜粋元ともなった、陰陽五行説の思想に基づいて、天文・暦法・占術などの学問的なものから、天人相関思想による祥瑞災異などの思想、あるいは呪術・祭祀に至るまでを包括した「陰陽道」本来の原姿を受け継ぎつつ、「人々の運勢と自然界は密接な関わりがある」との思想に基づき人の生まれた年、月、日を元に、祐気の手法を現代社会に取り入れて、実践・活用しようとする「気学」。

陰陽祐気学の祖は、奈良時代に日本に伝来した陰陽道にさかのぼる。

西暦604年には、陰陽道の影響を受けて、聖徳太子の十七条憲法が発布された。春秋緯書の陰陽五行説では、「陰の極数の八と、陽の極数の九との和」が「十七」になり、管子では「天道は九を持って統制し、地理は八を持って統制する。」とされその和が「十七」であるため聖徳太子は「十七」の憲法を制定したとされ、当時から陰陽道は政治や国の大事に深く関わっていたとされる。

日本書紀によると、西暦672年には、大海人皇子(おおあまのみこ・後の天武天皇)は、天文・遁甲(とんこう)をし、黒雲の拡がるのを見て、陰陽五行説による占いを行い、壬申の乱の勝利を予言した。その後も、天武天皇は、西暦675年に占星台や陰陽寮・外薬寮などの役所を設置し、国家陰陽道が成立した。

九星・気学

九星・気学(きゅうせい・きがく)とは、生れた年月日の九星と干支、五行を組合わせた占術。方位の吉凶を知るために使われることが多い。九星術を元に明治42年に園田真次郎が気学としてまとめたもので、それ以前の九星術と合わせて九星・気学と総称される。生年月日によって定まる九星と十二支と、方位の吉凶を知りたい日の九星と十二支を元に占う。九星と十二支は年・月・日・時のそれぞれにあるが、このうち年と月が運勢に大きく関係するとされる。また、生年によって定まる九星を本命星、生まれ月によって定まる九星を月命星という。

九星はある決まった法則で各方位を巡回することになっており、生年月日によって定まる九星と十二支との関係で各方位の吉凶を占う。

作家の池波正太郎は晩年九星気学を好んでいたという。

ミステリー作家の高木彬光は占い全般に造詣が深く、自身と占いとの関係や気学の書物も残している。

西洋占星術

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西洋占星術(せいようせんせいじゅつ)は、西洋諸国で発達してきた占星術の体系である。ヘレニズム時代に成立した体系が基盤となっており、一般的にはホロスコープを用いる。占う対象に影響を及ぼすとされる諸天体が、出生時などの年月日と時刻にどの位置にあるかをホロスコープに描き出し、それを解釈する形で占う。

近代になって一般に広まったサン・サイン占星術では、太陽のあるサインを基にして占う。日本の雑誌などでよく見かける十二星座を基にした星座占いは、これを通俗化したものである。

占星術一般がそうであるように、西洋占星術もまた、近代的な科学の発展に伴って「科学」としての地位から転落し、科学史などでは疑似科学に分類されるのが一般的である。

数秘術

数秘術(すうひじゅつ)とは、西洋占星術や易学等と並ぶ占術の一つで、ピタゴラス式やカバラ等が有名である。「数秘学」とも言う。 一般的な占術の方法は「命術」で、占う対象の生年月日(西暦)や姓名などから、固有の計算式に基づいて運勢傾向や先天的な宿命を占う方法である。

数秘術の創始者は一般的にピタゴラスの定理で有名なピタゴラスと言われている。彼は「数秘術の父」として知られているが、その数千年前のギリシャや中国、エジプトやローマでも数秘術が使われていた事を示す証拠が存在している。当時は、許された者にのみ、口頭でその情報が伝えられていたようである。

占星術

占星術(せんせいじゅつ)または占星学(せんせいがく)は、太陽系内の太陽・月・惑星・小惑星などの天体の位置や動きなどと人間・社会のあり方を経験的に結びつけて占う技術(占い)。古代バビロニアを発祥とするとされ、ギリシア・インド・アラブ・ヨーロッパで発展した西洋占星術・インド占星術と、中国など東アジアで発展した東洋占星術に大別することができる。

古代バビロニアで行われた大規模な天体観測が起源であり、ギリシア・インド・アラブ・ヨーロッパ・中国へ伝わったといわれている。おもに国家や王家の吉凶判断に使われた。バビロニア占星術は紀元前三世紀頃にギリシアに伝わり、個人の運勢を占うホロスコープ占星術に発展した。占星術を指す単語は、古典ギリシア語のアストロロギア(astrologia)に由来する。アストロロギア(astrologia)のアストロ(astro)という接頭辞は古典ギリシア語の astron 星でありastrologiaとは星について考えたことという意味になる。アストロノミア(astronomia、英語のastronomy)天文学とはastrologiaのなかで星の動きなどについての学問であった(nomos は秩序の意味)。ちなみに、astrologistは占星術者である。

星座占い

星座占い(せいざうらない)は、星占い(ほしうらない)ともいい、西洋占星術を簡略化した占いの一種。サン・サイン占星術(Sun sign astrology、太陽星座占い)といえる。ここでいう「星座」は占星術の「宮」(サイン)のことであり、現在の夜空の星座とは異なる概念である。

誕生時に太陽が十二宮のどの宮(サイン)に位置したかにより、その人物の性格や相性、運命などを占う。

太陽暦であるグレゴリオ暦では、誕生日さえ判れば太陽の位置も判るため、簡便な占いとして、急速に普及。

また、星座占いの占い師の中には、月星座占い(誕生時に月がどこの十二宮にあったかで占うもの。自分の「星座」とは必ずしも合致しない)を駆使し、ホロスコープ(天球図)を作り、さらに細かく占うという方法をとる者もある。

海外では割と親しまれている。

紫微斗数

紫微斗数(しび-とすう)は占いの一種。唐末から宋の時代にかけての有名な仙人であった陳希夷が創始したと伝えられている。紫微斗数の名前は、北極星である紫微星を主とする星々から運命(=数)を量る枡(=斗)を意味している。そのため紫微斗数を短縮して呼ぶ場合は紫微もしくは斗数と呼ぶべきである。

中国や台湾ではよく知られており、子平(八字、四柱推命)と併用されることもある。日本ではあまり知られていなかったが、最近は徐々に知られるようになって来ている。もっとも日本において第二次大戦以前から阿部泰山が紫微斗数の講習を行っており、これは香港や台湾における紫微斗数の流行に先駆けている。現代の紫微斗数は幾つかの流派に分かれているが、どれも明の嘉靖29年(1550年)に出版された『紫微斗数全書』を原典として、その上に各派独自の解釈を加えている。『紫微斗数全書』の著者である羅洪先は陳希夷18代の子孫を自称した。また一部には紫薇斗数の表記を採用している流派がある。

ただし、北派紫微斗数、道蔵紫微斗数あるいは術天機太乙金井紫微斗数、十八飛星策天紫微斗数と呼ばれる占術は、紫微斗数の名前を共有していても本項の紫微斗数とは全く異なる技術体系を持っている。そこで本項の紫微斗数を北派紫微斗数と区別するために、南派紫微斗数と呼ぶことがある。

英語圏でも知られるようになってきており、紫微斗数の読みそのままのZi Wei Dou Shuや紫微星をもじったPurple Star Astrologyと呼ばれている。

四柱推命

四柱推命(しちゅうすいめい)は、中国で陰陽五行説を元にして生まれた人の命運を推察する方法である。

四柱推命という呼称は、中国の原書に見ることができない。日本独自のものであるが英語圏で"Four Pillars of Destiny" もしくは"Four Pillars Astrology"とよばれているように、既に世界的に使用されている。
中国では、「子平」「三命」「命学」「命理」「八字(パーツー)」などといわれている。
もっとも四柱推命の基礎となっている十二支においても、十二支の相互関係である三合会局や六合には、西洋占星術のサイン間の関係が影響している。また月律分野蔵干には、サインの細分化の一つであるデーカンの影響を見ることもできる。