江戸から大量の情報が伝わる
手紙の内容が俄然面白くなるのは、やはり1853年(嘉永6)のペリー来航からです。インターネットFAXくらい面白いです(言いすぎ?)。
同年7月3日付書簡で信良は、「近来は都下殊之外騒々敷相成、何時如何之変出来ルヤラ難計、加之公方様六月二十二日、実ハ御他界、未タ御発シバ無之候得共、異船騒動御城内大混動、・・・何ヤラ底気味悪キ世之中二相成申候」と、六月二二日の黒船来航騒動に続いて同月二二日には将軍家慶の死去という事件が起こり、世の中が騒々しいだけでなく、生活の根底が揺り動かされ始めたという「底気味悪キ」気分を伝えています。
そして、「アメリカより三条之願アリ」として、「日交易二日土地3日縁結」の三点をあげ、「右之如ク島二非サル之土地ヲ拝借シテ交易場ヲ開キ、且兄弟之約ヲ結、為二御親族之内男女二関ラス貰受度と申事之由。
不出来相談・・・必戦争二及可申事と上下一同心痛仕居申候」という説明を加えています。